風邪 彼の元にその手紙が届いたのは、奇跡としか言いようのない本当に本当の偶然。 白くて小さな封筒。 宛先は、この町の、レオナの酒場。 宛名は彼。 差出人は不明。 「ほら、あんたに手紙だよ」 「俺に?」 「ああ、丁度よかったよ。あんたがここにいる時で」 「ほんとに俺宛か?」 「自分で確かめな」 レオナから手渡された小さな封筒を、ビクトールは困惑の面持ちで眺める。 宛名は確かに自分だが、生まれてこの方、手紙なんてもらったことはないし 誰かからもらう理由も思い当たらない。 第一、定住先を持たない彼のこと、手紙なんて出しようがないはずなのに。 「いったい誰だ・・・」 偶然にしては出来過ぎてる。 俺が今ここにいると知ってる奴は、ほとんどいない。 そいつらの中の誰かが、悪ふざけしてるのか? 封筒を手に、思い悩むビクトールを見て、レオナは言った。 「悩んでないで、さっさと開けてみなよ。  大方借金取りからの催促の手紙だろうよ」 「うーむ」 「ああ、でも、表書きは女性の字のようだがね」 「女・・・」 「どっかで悪いことでもやったんだろう」 「最近、そんな艶っぽい話はとんとご無沙汰で・・・」 と答えつつも、ビクトールは、ここ最近の自分の行動に思いを巡らせる。 「だから、さっさと開けてみなよ」 レオナは興味津々の様子。 「ああ・・・」 散々、封筒の裏表を眺め、明かりに透かしたり、振ってみたりした挙げ句 やっとビクトールは封を開けにかかった。 出てきたのは、2つに折られた白い紙が一枚。 「ドキドキするねぇ・・・」 覗き込もうとするレオナに見えないように ビクトールはその紙を広げた。 「悪い、レオナ。馬貸してくれるか?」 「馬?今から?」 「今すぐにだ。返すのはいつになるか分からんが、必ず返す」 「いいよ。ツケとくから」 「恩に着る。それじゃ」 「日も落ちたし、明日にすればいいのにねぇ・・・」 最後の言葉は、ビクトールが酒場のドアを乱暴に開けて出ていった後に 呟かれたものだった。 ここからだと馬を飛ばしても、丸2日かかるか・・・。 馬に鞭を当てながらビクトールは考える。 しかも、このまま走り続けたら馬を潰してしまう。 途中の町で、新しい馬を手に入れなければならない。 さて、どうしたものかな・・・。 ビクトールの頭の中には、ただ早く辿り着くこと、それしか無かった。 「あら、ビクトールさん。もうおやすみになったんですか?」 レオナは、雇っている女の子に聞かれる。 「いや、あいつは彼女のところに飛んでいったよ。  ・・・それとも、娘と言った方がいいのかねぇ・・・」 レオナは、ビクトールが残していった紙片を、ひらひらと振って見せた。 ビクトールの予想よりも早く、レオナの馬は潰れてしまった。 「ったく、ちくしょう!こんなことになるとは」 次の町まで歩くと、約小一時間。 少しでも時間が惜しい。 ビクトールは走り始める。 「何やってるんだ、俺は」 愚痴ってみるが、誰も聞く人間はいない。 ビクトールは走りながら、次の馬を手に入れる算段をする。 当然の事ながら、まともに借りて払えるだけの金は持っていない。 交渉している余裕は無い。 最後の手段は・・・。 案外、事は簡単に済んだ。 ぜいぜいと息を切らした図体のでかい人相のあまりよろしくない男が 宿屋に入るなり、こう怒鳴って、問題は解決した。 「馬貸してくれ!必ず返すから!!」 宿屋の主人は血相を変え、大慌てで馬をビクトールに差し出した。 「どうかこれで勘弁して下さい・・・」 「すまん、サンキュ」  ビクトールは、息も整わないまま馬に跨り、すぐに出発した。 そして、その村に着いたのは、レオナの酒場を出てから丸2日後の夕方。 ビクトールは、見慣れたその家の入り口を叩く。 「ナナミ!いるか?」 返事はない。 日も暮れかけたこの時間、家に明かりが灯っていない。 「ナナミ!」 扉には鍵がかけられていなかった。 「不用心だな・・・入るぞ」 中はがらんとしていた。 「留守か?」 「ドロボー!」 「え?」 振り返ると、12才くらいの少年がビクトールを見て動けなくなっていた。 やっとの事で一言叫んで、そのまま固まっている。 「お前誰だ?」 「こっ、ここはナナミねーちゃんの家だぞ」 「俺は、そのナナミねーちゃんの知り合いで、ナナミねーちゃんに会いに来たんだ」 「ほっ、本当か?」 「本当だ」 少年は、少し緊張が解けた様子で話し始めた。 「ナナミねーちゃんは、この間から風邪を引いて寝込んでるんだ。  母ちゃんにご飯持って行ってやれって言われて、運んでるんだ」 「そうか」 「あんた、本当にドロボーじゃないんだな」 「ああ、ドロボーじゃない」 「じゃあ、ナナミねーちゃんの看病してやってよ。  ナナミねーちゃんは平気って言ってるけど、なかなか熱下がんないんだよ」 「ああ、分かったよ」 食事を運んだと思われるお盆を片手に、少年は帰っていった。 「ナナミ、起きてるか?」 部屋のドアをノックする。 返事はない。 ビクトールは少しためらったが、ドアを開ける。 部屋の空気が少し澱んでいる。 少年が運んだ食事には、手がつけられていない。 ベッドの上の病人の頬は熱のために赤みが差して、呼吸が少し速い。 額に乗せるはずの濡れた手拭いは、床に落ちていた。 それを拾って、ビクトールは脇に置かれた水を張った器に入れた。 水も温くなっていた。 ビクトールは、ナナミの額に手を当てた。 「熱いな・・・」 「大丈夫だよ。今、食べるからね。うん、平気」  寝ていたナナミが目を閉じたままで、無意識に起きあがろうとしている。 「こら、無理するな」 「・・・・・・誰?」 「そのまま寝てろ」 「・・・・・・ビクトールさん・・・」 「いいから、眠るんだ」 「・・・・・・・・・」 再び眠りについた様子のナナミを見て、ビクトールは部屋の窓を少し開ける。 心地よい風が部屋に入ってくる。 「さて」 ビクトールは、手拭いをつけた器を持って部屋を出る。 「あのボーズに言われたからな・・・」 冷たい井戸の水を汲んで、また部屋に戻る。 そして、熱いナナミの額に手拭いを乗せた。 何度も井戸とナナミの部屋を往復して、何度も額の手拭いを取り替えて そうしているうちに夜が明けた。 途中、そういえばここに着くまで、ほとんど何も口にしていないことに気が付いて ビクトールはナナミのために運ばれた料理を食べた。 「すまないな、俺も腹減ってんだ」 ナナミの呼吸が落ち着いてきた。 熱もやや下がったようだ。 「お水・・・」 ナナミの乾いたくちびるから、呟きが漏れた。 「今持ってくる。待ってろ」 ビクトールは、井戸から冷たい水を運んで来た。 「ほら、水だ」 背中を片方の腕で支えて、ビクトールはナナミの身体を少し起こした。  ごくごくと水を飲む音がする。  水を飲み終えると、ナナミはまた眠りに落ちて行く。 「何か食わないと、回復しないな・・・」  とんとん、とドアをノックする音。 「おう」 「開けて、僕、手がふさがってるんだ」 ドアの向こうには、昨日の少年が2人分の食事を持って立っていた。 「俺の分もあるのか、ありがたいな」 「ナナミねーちゃんは?」 「熱は少し下がった。後は、メシ食って体力つけりゃあ、じき治る」 「よかった・・・またお昼に来るよ」 少年は昨日の皿を下げる時に、一言言った。 「ナナミねーちゃんの分、食べんなよ」 「ナナミ・・・食事だ」 「う・・・ん」 「少し食べとけ」 「食べたくない・・・」 「いいから、食べろ」 「うん・・・」 「ほら、口開けろ」 「うん・・・」 この日は、そんなふうにして過ぎていった。 次の日の早朝、目を覚ましたナナミが見たのは、椅子から落ちそうになりながら それでも何とか座って眠りこけているビクトールの姿だった。 「ビクトールさん・・・何でここに?」 ナナミはベットの上で起き上がって、しばらくぼんやりとビクトールを眺めていた。 「ふごっ!お、ナナミ起きたか。どれ熱は下がったか?」 ビクトールが目を覚ました。 おもむろにナナミの額へと手を伸ばす。 「ダメッ!」 「は?」 「わたしお風呂入ってないから、汚いから近づいちゃダメ!」 「何言ってるんだ」 「ビクトールさん、早くこの部屋から出ていって」 「ナナミ、俺だって、ここ4日くらい風呂入ってないぞ」 「ビクトールさんはいいの!」 「どうでもいいから、ちょっと熱はからせろ」 「やだ」 「お前なー」 「お風呂入りたい。髪洗いたい」 「まだ駄目だ」 「もう治ったもん」 「ぶり返すから駄目だ。大体、まだ熱あるかもしれないのに」 「やだやだやだ。お風呂入らなきゃイヤだ!」 だって、ビクトールさんがいるのに、汚いわたしを見せたくない! こんなになっちゃったわたしを見られてるなんて、我慢できない! ナナミは涙目で訴える。 「分かった分かった、俺も入りたいから、風呂湧かす。  だから、熱だけはからせてくれ」 「じゃあビクトールさん、息止めて、こっち見なかったら近づいてもいいよ」  ????? ビクトールは、ナナミの言うことが理解できなかったが、そっぽを向いて手を伸ばす。 ナナミの手がビクトールの手を引き寄せて、自分の額に触れさせる。 ビクトールの手を握ったナナミの手は熱くなかったし、額も熱くなかった。 「よし、熱は下がったみたいだな」 「お風呂」 「分かったから、まだ寝てろ」 「うん」 ビクトールは、無理な体勢で寝て凝ってしまった肩をぐりぐりと回しながら 部屋を後にした。 「ナナミ、風呂湧いたぞ」 「分かった」 ビクトールが部屋に戻ってきて、起きあがろうとしたナナミを止めた。 「身体は、後で、自分で拭け」 「え?」 「頭は俺が洗ってやるから」 「ええ?」 「とりあえず、そのままだと寝間着が濡れるから、脱いでタオルで身体を巻け」 大きなタオルが飛んでくる。 「ビクトールさん・・・でも・・・ちょっと・・・」 「ひとりで入って、頭に血が上って倒れたり、また熱が出たりしたら大変だろ」 「うう・・・」 「準備できたら呼べ」 バタンとドアが閉まる。 うーん、これでいいのかな? ナナミは、ひとり考え込む。 これでいいのか? ビクトールは、自問した。 「用意できたか?」 「うん、今すぐっ、ちょっと待って・・・できたっ」 「入るぞ」 部屋に入ったビクトールは、有無を言わさぬ素早さでナナミをシーツでぐるぐる巻きにして 風呂場へ向かった。 温かい湯気を、ナナミは鼻で吸い込む。 「頭出せ」 「はい」 小さな椅子に腰掛けさせられたナナミは、素直に頭を出す。 ここまできたら、ビクトールに任せるしかない。 頭にお湯がかけられ、ビクトールの大きな手がナナミの髪の毛を洗い始める。 ごしごしと動くその感触が、とても気持ちよかった。 「よし、流すぞ」 ナナミは首を縦に振る。 何度も頭にお湯がかけられる。 ナナミは、その心地よさが終わってしまうのが、何だかとても惜しいような気がしていた。 「よし、顔を拭け」 タオルが渡される。 「ありがと、ビクトールさん」 ナナミが顔を上げると、ばふっとタオルが頭にかけられ わしわしと髪を拭かれる   「いっ、痛いよ、ビクトールさん」 「ちゃんと乾かさなきゃ、また風邪ひく」 「もういいよ」 「まだだ」 ビクトールの気が済むまで頭を拭かれる。 「部屋戻るから、足もちゃんと拭け」 「うん」 「そのシーツは濡れたから、ここに置いといていい」 身体をくるんでいたシーツが風呂場の床に落とされ、一瞬バスタオルだけの姿になったナナミだったが 次の瞬間にはもう新しいシーツにくるまれて、ビクトールに抱えられていた。 「ビクトールさん、わたし歩けるよ」 「黙ってろ」 ひんやりとした空気が、ナナミの肌に触れる。 ビクトールは大股で、ナナミの部屋へと向かった。 部屋で、ビクトールが持ってきたお湯で体を拭いて、新しいパジャマに着替えて ナナミはさっぱりとした気分でベッドの中へ潜り込む。 「へへへ・・・」 「これで満足だろう」 「うん」 「全く世話の焼ける奴だな」 「ありがとね、ビクトールさん」 「仕方ないさ・・・」 どうしたって、お前にはかなわないんだから。 「折角うちに寄ってくれたのに、何もできなくてごめんなさい。  おまけに看病までさせちゃって」 「お前が、手紙なんかよこすから、慌てちまったよ」 「手紙?」 「レオナの酒場宛てに出しただろう」 「ううん、だって、ビクトールさん、いつもどこにいるか分からないじゃない」 「お前じゃなかったのか?」 「うん、何て書いてあったの?」 「じゃ、やっぱ、イタズラだったのか・・・」 考え込むビクトールを見つめながら、ナナミは微笑んだ。 白くて小さな封筒。 宛先は、レオナの酒場。 宛名は彼。 差出人は不明。 −ビクトールさん 会いたい− 奇跡としか言いようのない偶然で、彼の元に届いたその手紙は たった一言、そう書かれていた。 fin.










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