歩いて歩いて歩いて、眠くなった。

月が落ちる。

そろそろ。

暗闇の中に、深い朱色の夜明けが見え始める。

あくびをひとつ。

紺色の闇が愛しい。

空の星々が落ちてきて、私の手で溶ければいい。

そうしたら、その煌きを得て、この命も少しは輝くことだろう。

そう思っていたら、ふいに頬をなでられた。












夜明け前












「眠そうだな」

面の皮の厚い男だが、指先は意外にも滑らかで繊細だった。

「ああ・・・もう夜が明ける」

「寝ていいぜ、オレがおぶってやる」

「ならば、頼む」

「ちった遠慮しろよ・・・」

男の顔は明らかに寝不足のようで、クマができていた。

クマ・・・くま・・・熊・・・

「熊・・・か・・・・」

そういえば、熊のような男がいた。

酒を飲んでは愚痴ってばかり。

それでも、あれはいい奴だった。

私にしか弱音を吐かず、そして、ただ一人で闘いに挑んで行った男。

ああ、その相棒に、やたらと不運だと言われる男もいた。

己の不運を嘆くこともなく、もっとも本人はそれを気にする様子もなかったが
ただ、淡々と己の運命を受け入れているように見えた。

恐らくは、自身の中で葛藤はあっただろうに。

私の前では、ただ笑っていた。

その笑みが、少し弱々し気に見えたのは
私がその男の何十倍も生きているからだろう。

それでも、男らは、最後の最後には一人で立ち上がって歩いて行くのだ
己の道を。

立ち上がれなくなるそのギリギリ限界の寸前で、立ち上がって去って行くのだ。


私は、笑ってしまう。

まったく・・・この男たちは・・・。






「何が可笑しいんだ?」

「昔の男のことを思い出しておった・・・」

それほど昔ではないが、むしろこの間のことだが。

「あ?」

「嫉妬かや?」

「何言ってやがる、何故、お前みたいなオババ相手に・・・」

おぶわれたその背中から、喉元に喰らいついてやった。

鼓動が伝わる。

若々しい律動。

柔らかな脈動。

暖かな流動。

生きている証。

くすくすと笑いが漏れる。

こんなにも

こんなにも、生きることは素晴らしい。






「あんたは・・・」

この男も、そうだ。

「オレが、傷つかねぇとでも、思ってんのかよ」

最後の方は消え入るような声音で。

「なんじゃ、今夜はやけに素直じゃの」

夜明け間近の、この薄闇が人を不安にさせるのか。

この男の金色の髪の毛は、昼間に輝く。

今は、少し、寂しげだ。

「あんたは・・・」

私の生きてきた時間は、余りにも膨大で

その中で、余りにも多くの人間が輝いているから。

そうでなければ、私の生きる意味など、失われてしまうから。

「お前も・・・・・・」

いつか、死んでしまうのだろう。

でも、今、これほどまでに、温かく生きていることを
私は忘れはしないから。

だから、お前も、私のことを忘れないでおくれ。

その呼吸が終わるその時まで。






「欲が深いのぅ・・・」

私は。

「ああ・・・あんたのすべてを占めたいと思うよ」

無理だとわかっていても?

「無理だとしても」






「わらわがお前のすべてを占めることができぬように
 お前もわらわのすべてを占めることはできぬのじゃ」






男は黙る。

私も、沈黙する。

何故、人は、不可能なことを望むのか。

今ならば、私にはわかる。

できないから。

不可能だから。

叶わぬ夢だから。









だから、人は、夢を見る。









柔らかなその髪に、くちびるを落とす。

「叶うかもしれぬ・・・」

目を閉じる。

力が抜けて行く。

その大きな背中の温もりがすべて
私の中に流れ込んでくる。

お前の鼓動が聞こえる。

お前の呼吸が伝わる。

お前の生が、私に流れ込んでくる。

「重ぇよ」

その振動が、私を震わす。









それらすべてが、私を満たす。











fin.





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