月の光が届かぬ夜








「おぬしは・・・一体何をしに、ここに来るのじゃ?」 「別に、あんたと一杯やろうと思ってな」 「酒は歓迎するが、おぬしは邪魔じゃの」 「そう邪険にするなよ」 「ふん、おぬしのような熊と、いらぬ噂など立てられては困るでの」 「何言ってる。あんたが、800年以上も生きてるオババだってことは・・・」 「その酒を置いて、おとなしく出てゆくか?」 「追い出すんなら、酒も持ってくぜ?  今日のは、また特別に旨いヤツなんだけどな・・・」 「毎日、同じことを言いおって、芸のない奴じゃ」 床にどっかりと腰を下ろしたビクトールに、シエラは舌打ちをする。 「妾などと飲んでも、得る物なぞ無いぞ」 「酒を飲むのに、そんな小難しいことなんか考えて飲むわけないだろ」 「ふむ」 「本当に迷惑なら、そう言ってくれ」 「おぬしに似合わぬ、殊勝な言葉じゃの。  かまわぬ。おぬしならば、気を使う必要もない」 「なら、飲もうぜ」 座ったビクトールを見下ろす形で立っていたシエラに ビクトールは床を指さしてみせる。 「やれやれ、これで3日目じゃ。  妾も下等な人間になりさがったようじゃ」 今まではテーブルについて飲んでいたシエラも、とうとう床に座り込んだ。 特に、これといった話題があるわけでもない。 ただ、互いに盃を重ねるだけ。 これまでは、ビクトールが持ってきたワインについて、少ししゃべるだけだった。 「おぬしは、意外に良い酒ばかりを持って来るの」 「意外にとは何だ」 「質より量で、安酒ばかりを飲んでおるのかと思っておった」 「普段はそんなとこだな。  でも、あんたは、そんなもん口にしないだろう」 「安酒など、身体が受け付けぬ」 「これは、とっておきなんだぜ」 「ふん、妾のためにならば少しは感謝もしようが、そうではなかろう」 「バレたか・・・」 ビクトールは、ラベルを見ながら答えた。 「ま、もうとっておいてもしょうがない物だからな」 「妾は、残り物の後始末か」 「そう言うなよ、あんただから、こいつの口開けたんだぜ」 「口では何とでも言えるわ」 それでも、シエラは笑っていた。 「それも、もうここにあるので最後だ」 「最後か・・・」 「とりあえず3本あるし、今夜の分はこれで足りるだろう」 「おぬしは、これを無くしてしまいたいのか?」 「飲みたいと思う相手を無くしたし、だからといって、1人で飲むのも勿体なくてな」 「飲んでも、無くならぬぞ」 「分かってるさ」 「時間が、かかるぞ」 「うんざりするな」 「そうのんびりかまえてもおられぬがな。  おぬしらの生は、妾のそれよりも随分と短いものじゃから」 「もう・・・・・・うんざりするばかりだな」 「おぬしら人間は、誰ぞが死んでも心の中に生き続けているとか何とか言って  自分を誤魔化すのが得意じゃろう」 「ああ、そうだな」 「おぬしは、そうは思っておらぬのじゃな」 「・・・・・・」 「死んだ者は、死んだのじゃ。二度と会うことなどできぬ。  ただそれだけじゃ」 「あの世とやらでも?」 「分からん。妾は、この世を生き続ける者じゃから」 シエラは、グラスのワインを、その白い喉に一気に滑り込ませる。 そして、空のグラスに自分でワインを注いだ。 「悪い。手酌させちまったな」 「妾のことならかまわんでよい。  妾とて、おぬしのことなどかまっておらぬ」 「はは・・・」 ビクトールは、静かに笑った。 それから、互いに無言のまま、1本目の瓶を空にした。 「おぬしは、よく尻が痛くならぬの」 「なんだよ、なんか敷けばいいじゃないか」 「気が利かぬ男じゃ。こうなることを見越して、最初から何か勧めるべきじゃろう」 「かまわなくっていいって、言ってたくせに」 「具合が悪いのは好まぬ」 そう言って、シエラはベットから毛布を引っ張ってきた。 「どれ、これで残りのワインを飲み干すくらいの時間は大丈夫じゃ」 毛布の上に座ったシエラは、すぐにグラスの中身を空けて、また満たす。 「おぬしの望みは・・・何じゃ?」 「望みか・・・」 「このワインと同じか?」 「そうだな、無くなればいいと思ってるかもな」 「それをおぬし自身は、許しておらぬのだろう」 「志半ばで死んでいった奴や、もっと生きたいと思っていた奴を忘れてしまうのは  許されることではないような気がして・・・」 「おぬしがどう思おうと、時の流れは傷を癒す。  ただ、それは、気付かぬほどゆっくりとであるがな」 「分かってる。・・・そうだな、分かっていたんだが  もう、待っていられないような気がするんだ」 シエラは、赤い液体をグラスの中でゆらゆらと揺らしながら、微笑んでいた。 「何も感じなくなってしまえば、楽だと思うておるのじゃろう。  ならば、死んでしまえばよい。それは、死と同じことじゃ。  それでも死ぬことができぬのは、おぬしは、まだ、希望を捨てておらぬのじゃ。  期待しておるのじゃ。  妾は、それは、正しいことだと思うぞよ」 「・・・・・・」 「おぬしの女はどうやって死んだか知らぬが、きっと苦しかったであろう。  さぞ、無念であったろう。  おぬしが殺してきた輩どもも、それは同じじゃ」 シエラは、グラスを見つめながら続けた。 「それを思うて心が痛むのは当然じゃ。  そして、それでも、それを忘れてゆくのも、また、人には必要なことなのじゃ。  人には、限られた時間しかないからの・・・」 「妾とて、同じ穴のムジナじゃ。  何度、同じ目に遭おうとも、この次は・・・という期待を捨てることはできぬ。  与えられた時間の長さを呪うたこともあったが、忘れゆくことを拒んで死のうと思うたこともあったが  結局、妾は生きることを選んだのじゃ。  今、一番恐ろしいのは、その気持ちを失うこと  ・・・それは、生きたいと妾が望んでいるということじゃ。  だから、この無意味に永い生にしがみついておる。  そして、同じように、必死にしがみついて生きておる人間共全てが愛しいのじゃ・・・」 くくっと、シエラは声を立てて笑った。 「おぬしは、結構わがままじゃの。  忘れることは許されないと思いながら、早う苦しみから解き放たれたいと望んでおる」 「俺は、ただ楽になりたいだけなのか?」 「生きたいと望んでおるだけじゃ」 シエラは、笑い顔をそのまま、ビクトールに向けた。 「その煩悶が、全ておぬしの生じゃ」 ビクトールは肩をすくめた。 「ロクな人生じゃないな」 「妾ほどではないぞ」 シエラは応えて、眉を上げて見せた。 ビクトールは、何も言い返すことができなかった。 3本目の瓶も空になる頃には、ビクトールの意識も朦朧としてきていた。 「おぬし・・・ここに来る前に、安酒を飲んで来おったな」 「・・・これっぽっちじゃ、酔っ払えないからな」 「ここで寝るな」 「分かってる、分かってる・・・」 「横になるな」 「分かってる・・・」 「それと、妾、今日はちとしゃべりすぎたようだが、妾の言ったことは忘れろ。  おぬしには、おぬしの生き方がある。  生き方に手本などない。おぬしは、おぬしの思うままに生きて死ねばよい  ・・・と、妾は思うぞ」 「・・・・・・」 「言い訳じみておるな・・・」 いびきをかき始めたビクトールに、シエラは床に敷いていた毛布を掛けた。 「結局のところ、妾にも分からんのだ・・・」 −こんなに長く生きていても− ビクトールを部屋に残して、シエラは、もう月も落ちてしまったであろう夜空を眺めに 屋上へ向かう・・・。 fin.







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