迷いの森




「あ?」

「別れよう」

「は?何言ってる?」

「いや、一度言ってみたかっただけなのだよ」

「テメー、いっぺん死ね。俺ァ、心底ビビっちまったよ!」

薄暗いというよりももう少し濃い闇の中、ふたりはあてもなく歩き回っていた。
沼地のため足元はぬかるみ、どんよりと湿気を含む空気がのしかかる。

「こんなとこにひとり置いてかないでくれよ。サミシーだろ」

「勝手に言ってろ」

「冷てーなー」

軽口を叩き合いながら募る不安を振り払う。
何か現れても対処できる力と技は持ち合わせている。
ただ何も起こらず、ただ永遠にここを抜け出すことができなかったら―



ここは、あまりにも似過ぎている。



「ああ、もう日も暮れる。休む準備をしよーぜ」

時間の感覚も無くなりかけた中で、レオリオの腕時計だけが頼りだった。

「そうか・・・」

日が昇ることもなく沈むこともない、ひたすら続くぼんやりとした闇。
何か身体にまとわりつけたまま歩いてゆくような感じに、訳の分からない不安に
―思い出す。

だけど、ひとりじゃない。
だから、気が狂うことはない。
狂気に身を任せそうな自分を傷つけることなどしなくてもいい。

「俺は魚採ってくるから、お前、火おこしとけよ」

「指図など要らん」

「ああ言えばこう言うなー、もう、この口はよー」

クラピカの頬をつまもうとしたレオリオの手は、ペシッと軽く払われた。

「毎日やっていることをいちいち言われるほど
 私は物分りの悪い人間ではない、と言っているのだ」

「それくらい分かってるよ。微笑ましい会話をしようとしただけじゃねーか。
 黙って行くよかいいだろ。ホントに全く理屈ばっかり並べるヤツだよ、オメーはよ」

フッ・・・クラピカは笑みを漏らした。

なるべく、なるべく、多く話さなければ
この空間に囚われてしまう、飲み込まれてしまう。

「じゃ、行って来るぜー」

「気をつけろ」

気をつける必要などないのかもしれない。
この森に迷い込んでから、敵になど出会ったことはない。

クラピカは空を見上げた。
暗黒。
星さえも瞬くことがない。
せめて、ほんの少しでも星が見えれば、行先を定めることができるのに。

何もない天空に、幻の月が見えそうになって
クラピカは慌てて地上に視線を戻した。

赤い月。
同胞の血に濡れた瞳。
滴るしずく。

ここは、悪夢の中のようだ。




「うわぁ!!」

さほど遠くない距離から、レオリオの声が上がる。

「レオリオ!」

クラピカは急いで声のした方角へ走る。

「どうした、レオリオ!!」

走りながら、クラピカは叫んだ。
身体にまとわりつく無数の手を振り切るように走る。
地面に張り巡らされた木の根に足を取られないように
その身を軽く操りながら。

「レオリオ!!」

「よぉ、クラピカ」

水の中に腰まで浸かったレオリオは、照れくさそうに手を上げる。

「・・・何をしている?」

「いやぁ、足元が暗くてコケで滑っちまってさ、ハハ・・・」

岩場から一段下がった水の中に、レオリオは落ちていた。

「貴様・・・」

「悪ィ、びっくりしたか?」

「馬鹿野郎!!」

全速力で走ってきた頬が熱かった。
心臓はまだ、ドキドキと激しく鳴っている。

「そんなに怒んなよ、イヤほんとに悪かった。
 情けねー声上げちまってさ」

「私は!」

本当に恐かったのだよ――クラピカはその先、口をつぐんだ。

「クラピカ、ちょっと手を貸してくんねーか。足場がね―んだ」

「ああ」

レオリオが差し出した手をクラピカはしゃがんで掴む。

「行くぜ」

そうレオリオが掴んだ手に力を込めた時・・・。

ズルッ。

「うわっ!」

ボチャン!・・・クラピカもまた落ちた。



「あーあ」

「おっ、お前が悪いのだよ!こんな所で不注意な行動をとるから!」

「悪かったなー、岩にコケ生えてるって言わなかったっけか?」

「バカ者!!だいたい自力で上がれるではないか、これくらい!」

クラピカはバシャンと水面を叩く。

「そんなにカッカすんなよ。とにかく上がろうぜ。
 ほら、俺の肩に乗れよ」

「くっ」

クラピカは、レオリオの組み合わせられた手の平に足を乗せ、肩に足をかける。

「滑るから気をつけろよ」

「最初に言え!」

トン、と足先に力を込めて、クラピカは岩場に飛び乗った。

「お前、軽いなー」

「待ってろ、今、ロープを持ってくる」

「いらねーよ」

「また落とされては、こっちが困る」

「なんだと・・・っと、全くアイツ・・・」

遠ざかる足音に、レオリオは苦笑いを浮かべた。




パチパチと木のはぜる音がする。

「全く余計なことをしでかしてくれたな。
 ここら辺で乾燥した木を見つけるのは苦労するのだぞ」

「悪かったって言ってるだろー。・・・びぃっくしゅ!
 冷え込んできたなー」

「こんなところで風邪などひくなよ」

「んなこた、分かってるよ」

暗い空間を照らし出す炎に、浮き出た横顔がひどく幼く見えた。

「クラピカ・・・お前、いくつだったっけ?」

「私の年がどうかしたか?」

「いや・・・お前を見てて、なんだか弟みたいだなぁって」

(弟?!)

「何を言う!お前のようなマヌケな兄など存在する訳がなかろう!
 たとえ年が多少上でも、その考えは認められんな」

「そんなにきっぱり否定しなくてもいいじゃねーか、お前なぁ」

「下らんことを言うからだ・・・っくしゅ!」

「ほら、もっと傍に来いよ」

「何?!」

「ふたりでくっついてりゃ寒くないだろう」

「そうかもしれんが・・・」

「そうなの、ホラ!」

ぐいっと引き寄せられたクラピカは、レオリオの腕の中にいた。

「何をするっ!」

「風邪ひくとマズいから」

「こんなにくっつかなくていいだろう」

「ギャーギャー騒ぐなよ、うるさい」

「おっ、男同士で気色悪いと思わんのか!」

「お?ガキのくせして何言ってやがる。
 でもまぁ、そう言われりゃそうかもなぁ・・・」

「そうだろう!」

「お前、気持ち悪いか?」

レオリオは、すぐ近くにあるクラピカの顔を見下ろして言った。

「わっ、私はっ!」

言葉が出なかった。
レオリオの温もりは心地良かったから。

「俺は、何ともないなぁ。・・・どうしてかなぁ。
 案外お前がガキっぽいって分かったからかなぁ・・・」

「何を?!」

「ほら、ちっちゃい弟か妹を抱くのと同じ
「それ以上言うと殴るぞ」

「うわ、止めろ」

「おとなしくしていて欲しいなら、何もしゃべるな」

そう言ってクラピカはレオリオの肩口に顔をうずめた。

「クラピカ・・・」

「何も言うな」

沈黙が下りてくる。
だけど、闇は落ちてこない。
闇には、落ちてゆかない。

目を閉じても、赤い月は浮かんでこない。
お前の鼓動が聞こえるから。

クラピカは、ふっと息を吐いた。

レオリオは言った。

「おやすみ」



―明日はきっと朝が来る。






fin.



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