爪が折れた。






絆創膏






「痛いよ、千石」

「オレに言われてもさ。あのさ、何でもかんでもオレに言えばいいってもんじゃねーべ」

「ああ、そうかい。冷たい男だね」

「…ばんそーこ」

「ありがとう」



わたしのばんそーこー。

千石清純。

傷が癒えたら、剥がして捨てちゃう。

いーや、治りきらないうちにでも剥がしてしまいます。

ごめんね。



「だいたいさ、千石が、亜久津はそんなにコワクないって言うからいけないんだ」

「え?」

「人のせいにしてみたくなっただけです」

「それはすごくいけないことだ」

「ハイ、わかってます」

「オレに当たるのもやめること」

「…千石のくせに説教した」

「千石のくせにってなんだ」



もっと…。

もっとさ。

あったかい言葉をくれれば、れば…。



「頑張れとか、言ってくれればいいのに」

「…にだけは言いたくねー」

「なんでー?」

「だって、、オレを罵ってばっかだし!」

バトーだよ。

ば・と・う。

罵倒。

ワカル?

そう、千石は言った。



「千石のばーか」



と、言わなかったよ。

喉まで出かかったけど。

褒めてよ、亜久津。






千石に冷たくされたので、仕方ないから折れて剥げそな爪はジクジク痛いけど、 でもやっぱり千石は良い奴なんだというシルシのばんそーこを指にくるりと巻いて理科室に入った。

4時間目が理科の実験で、理科委員のわたしは理科室のカギを持ってた。

お昼休み、あっちゃんは彼氏とラブラブお弁当タイムで、けーちゃんは学校をサボりやがって、 そんなこんなで昼休みはひとりで過ごそうと思ってて、心底屋上へ行きたかったんだけど、 (亜久津が学校に来ていたから)もう、それはできなくなって幾久しいので、 理科室で理科委員の特権を行使して、カギは5時間目が始まるまでに返せばいいと言われていたし、 5時間目は理科室を使うクラスがないってことは調査済みだし、(前置きが長い)コーヒーを飲むんだ。

インスタントの。

理科室に入る。

戸を閉めようとしたら、亜久津が廊下を歩いてきて目が合った。



よ!

お!
が混じった変な声が出た。



亜久津は、ごくごく自然に理科室に入って来た。



亜久津がここで授業を受けてるシーンを想像しようとしたら、面白くなったのでやめた。

声を出して笑いそうだった。



コーヒーを飲むんだった。



アルコールランプ・マッチ・三脚・金網・ビーカー



火を点ける。

「火」

亜久津が短く言った。

わたしは、もうすでにマッチの火を消してた。

「チ」

それだけで意思表示をしようとするこの人はスゴイと思う。

大きな身体を屈めて、机の上のアルコールランプに顔を近づけて口に咥えたタバコに火を点ける。

「髪の毛」

燃えるよ。

燃えそうだよ。

それはそれで見物なのだが。

「煩ぇ」

煙とともに、短い言葉を吐き出した。

「換気扇回してよ」

「お前がやれ」

「…お前がやれ」

亜久津は黙って換気扇のスイッチを入れた。

ビーカーに水を入れる。

火にかける。

「…お前、何するつもりだ?」

「コーヒー飲むの」

「ああ?汚ねぇだろ、ソレ」

「大丈夫。まだ実験には一度も使ったことのない新品!」



理科委員の特権。

わたし専用ビーカー。



「コーヒーなんぞ自販機で買って飲め」

「砂糖が入ってるのイヤ」

「ブラックがあるだろうが」

「あれは苦い」

「…バカか、お前」

「ねぇ…」



また一緒にお昼寝しようよ。



ビーカーの中の水が沸騰し始める。

早いよ。

亜久津は、椅子に座ってタバコを吸いながら、灰は流しに落としてる。



泣きたくなった。

あまりにもほっとして、泣きたくなった。

亜久津の傍にいることが、こんなにも嬉しくて泣きたくなった。



「う゛…えええええ」

「なに吐いてんだ、お前」

「吐いてんじゃない、泣いてんだ!」



バカ!



「亜久津…」

「んだよ」

「け…け……」



この際だから告白しなければならないと、そう閃いて、そう、今しかないと、ものすごく脈が早く打つ。



「ケ…ケ……」

イヤ、結婚とか、そうじゃないだろわたし。

まずは”スキ”って言うべきだろ。



「決闘かよ?」



待て、おい、コラ!



「違う!ケ、血糖値だ!!」







仕切り直し!!



「亜久津…あのね」



「んだよ」



「す…」



「スルメイカか?今度は」



ヤダー!!!



わたしは別の意味で泣きたくなって、それもこれも全て、あんたのせいだ、亜久津仁。

なんで、こんな大切な重大な場面で、よりにもよって
ス ル メ イ カ ?!



亜久津の好物なのかもしれないので、心の片隅に留めておく。



「亜久津」

「んだよ、さっきから」

「タバコ、一本ちょうだい」

「ダメだ」



何だよ。

何だよ。

何だよ!!



アルコールランプのアルコールは、透明で、光が透けて、とても綺麗で、 それが何故あの赤くて青い炎になるのかとても不思議で、だから、ガスの火で沸騰したお湯よりも神聖なお湯で、 わたしはコーヒーをいれる。

なのに、今、そのコーヒーはただの濁った茶色の水でしかなくて、悲しくてマズそうだった。



何だよ。

何だよ。

何だよ!!



そしたら、千石のばんそーこが、がんばれがんばれって点滅した。






end.

モドル