冬の雨は、肩を濡らして、顔も濡らす。









gray








「亜久津」

「風邪ひくだろ、バカ」

突き出された透明のビニール傘。

「バーカ…」

優しくなんかするな。

「…その傘、どっかからパチってきたんだろ」

ぴたぴたと、雨が顔にかかる。



「違げぇよ」

優しくなんかするな。



わかんないかな?

わたしは、あなたのことが、好きだって、言ってるんだよ。

今、わたしは、あなたのことが、好きだって、言ってる。



「亜久津なんかに、傘、借りない」

「使えって言ってんだよ、このバカ」

「いらねーって言ってんだよ、バカ」



自分で使えばいい。

あんただって、濡れてるんだから。



ぴたぴたと、雨が顔にかかる。



「ハッ、勝手にしろ」



傘が投げ捨てられた。









「せっかく、亜久津が買ってきてくれたのにね」

「どっか行け、ウザい」

「あれ?気がつかなかった?ほらー、持つとこにシール貼ってあるっしょ」

千石は、地面の上のビニール傘を拾い上げた。

が濡れて寒そうにしてるから、亜久津、コンビニで買ってきたんだよ」

黙っていたら、千石は調子に乗って喋る。

「自分の分は考えなかったとこが、亜久津らしいよね」

「…うるさいよ」

のことしか、考えてなかったんだよ」

「うるさいって言ってる」

わたしは、傘と千石を置き去りにしてやった。









「あれー、そんなに濡れて」

気安く声をかけられたけど、誰だ、この女?

「傘、持ってないの?」

「あの…?」

「あなた、仁の…友達でしょ」

「あ?」

「こないださぁ、走って逃げちゃった」

「あ!」

亜久津の傍にいたちょっと派手目の子だった。

「仁さぁ、あの後、めっちゃ焦ってさ、面白かったんだよ。 追っかけようとして、わたしが行かないでーとか言ったらめちゃめちゃ困ってた」

「そーですか」

あんたのせいかよ。

「わたしさぁ、仁のこと、好きなんだ」

「はぁ…」

「前さぁ、変な男にからまれてたわたしを、仁は助けてくれたんだ。 わたしって目立つから、すぐヘンな男に絡まれるんだ」

「ハァ…」

「チャラい男ばっか寄って来るんでもぉ男にはウンザリ…って思ってたら、仁は全然違ったし。」

「ほぉ…」

「やっと本気になれる男だって思ったんだ」

夢見るような瞳になってる。

「ねー、仁はね、わたしをフツーに扱ってくれるんだよ」

いや、普通も何も…。

「ヤらせろ、とか、言わないし」

「あ…そうですか…」

「わたし、仁だったらいーのにさ」

「……」

どういう反応を示せっつーんだ。

「だから…」

彼女は、とびっきりの笑顔を見せた。



「さっさとしないと、取っちゃうよ?」



その顔が、眩しいくらいに綺麗だったので、わたしは、ヤバイ、本当に取られると焦った。









―千石、今どこにいる?

―(…か)まだガッコー

―今から行くから、そこにいて!

―何ー?とうとうオレに告白する気に…

”ブッ!!”

「切りやがった…」









雨が強くなった。

傘なんか、ない。

傘なんか、いらない。

亜久津がくれた傘以外、いらない。









空は灰色で、落ちてくる雨粒も灰色。

それは、まるで氷の粒のように皮膚の温度を奪い、ぬくもりが失われてゆく。

走る風が頬を冷たく、まるで切り裂くように吹き抜けて、顔に朱が散る。

指が、動かせないくらいにかじかんで、その手を握り締めて、感覚がなくなるくらいにぎゅっと握り締めて、走っていた。






!!」






呼び止められた。

「あ…亜久津」






急激に湧いてくる不安。

その顔を見ると、ぐらぐらと襲ってくる眩暈のような想い。






「風邪…ひくって言ってんだろ」

「わたし…の…で……いいの?」

「何が言いてぇんだよ」

「いや…その…わたし…なんか…」
























「お前、名前、何つーんだよ」

と申シマスッ!」

「……」

「あのっ!チ・チ・チ・チョコレート!いりませんかっ?」

「いらねぇ」

「あっ、甘栗もありますけど!」

「お前…」

手の平にこぼした、甘栗。

それを、亜久津は、食べた。

長くてゴツい指ででつまんで、口に運んだ。












、何か食いもん持ってねーのか?」

「食べちゃった」

「んだよ、つまんねぇな」

「たまには、自分で持ってきて、わたしにお裾分けするとかしてよ」

「タリィ」

「あー…ハラいっぱい」

「テメーはよ」

「お昼寝しよー」

「テメェ…」












…」

「何?」

「お前、案外アタマいーのな」

「ふふん、恐れ入ったか」

「こんなアホ面してんのにな」

「しつれーな」

空が青かった。

「お前…」

「亜久津みたいに運動神経よくないけどねー」

「……」

「テニス…強いんだって?」



顔を見ないで、空だけを見てた。

なぜだか、顔を見ることができないでいた。



もう少し、近づきたい。

この人に、近づきたい。

できることなら、この空の向こうの神様。

近い将来。

そう遠くない将来。

わたしと、亜久津が、テヲツナイデ、イラレルコトガ、アッタリ、ナカッタリ…。

想像しちゃっても、許してください。

勝手に、今、思い浮かべちゃったこと、この隣にいる人には、絶対に、絶対に、わかんないようにしてください。






「……テニス…強いんだって?」

「もうやんねぇよ」

「そーなんだ」

並んで寝転がったその手が、ちょっとだけ触れ合った。






end.

モドル